Margurite
赤城×主←紺野玉緒(GS3)

 予備校の土曜日の6時限目は、自習室もがらんとしている。
 さもありなん、その時間は予備校の中で一番人気の高い講義「一流大学英語」と、その次に人気の高い「上級私大英語」が同時に行われており、大きな第一講義室と第二講義室は受験生でいっぱいになる。
 特に「一流大学英語」は一流大学を目指す者のみならず、国公立大学を志望する者はほぼ必ず受講するという人気の講義だ。
 玉緒はまだその講義を受けたことがなかったが、「一流大学英語」を担当しているのは予備校の中でも人気の高い講師であるので、噂だけは知っていた。それは、英語なのに数学みたいな授業であるらしい。
 講師いわく、英語はきわめて論理的な言語なのだそうだ。たとえばbe動詞が来ればそれはすなわち「=(イコール)」の意味で、主語とイコールになるものが必ず存在する。文章が長ったらしく複雑になっているなら、文章を小括弧、中括弧、大括弧と分ける。そうやって構文を数式化していく内に、解答はおのずと見えてくる。英語というのは実に単純明快な言語だというのが、その講師の言い分であった。
 仮にも一言語を数式だと言ってしまうのはどうかと思うが、受験英語であるなら、そうやって割り切るのも悪くないだろう。
 受験生にとって必要なのは、英語で他人とコミュニケーションを取ることではなく、大学が用意する問題を読み解くことだ。とりわけ一流大学は難解な英語の長文問題を多く出してくることで有名だった。そういうわけで、この予備校に通う学生たちは皆、「英語を読み解く力」をつけるべく、土曜日の6時限目に挑むのである。
 こちらはまだ高校一年生である玉緒は、「一流大学英語」を受講していない。
 進路についてはぼんやりと一流大学に焦点を定めてはいるが、浪人生や受験生に混じって授業を受ける気には、まだなれなかった。玉緒が本日受講予定の科目は、7時限目の「高校一年生・古文」である。7時限目が始まるまでには、かなりの時間があった。そのため玉緒は、自習室でその日学校で習った数学の復習をしていたところであった。
 しかしながら、今日は異様に眠かった。
 昨晩、買ったばかりの推理小説を読むのに没頭しすぎたせいかもしれない。もう少し、あと少しとページを捲っているうちに、あっという間に時間は過ぎていた。今日をやり過ごせば週末だと、気を抜いていたに違いない。
 しかし、過ぎたことを今更どうこう言っても始まらない。玉緒は諦めて席から立ち上がった。外の新鮮な空気でも吸いに行こう。気分転換にもなるし、何よりこのまま睡魔と戦うよりは時間を有効的に使えるというものだ。
 自習室を出ると、緊迫感のない静寂が佇んでいた。人気のない廊下はしんと静まり返っていて、蛍光灯は空回りしているような光を発している。
 同じ静けさであっても、人の気配、人がその空間で醸し出すオーラなどで随分雰囲気が変わるものだ。玉緒はうーんと背筋を伸ばした。
 思った以上に外の空気が気持ち良かったので、ちょっと歩いてみようかという気になった。
 玉緒が現在いる5号館は7階建てで、自習室のある2階から非常階段を上っていけば、いい運動になる。また6階から7階にかけての踊り場からは、山手線と総武線が行きかう様子が眺望できて、気分転換にはもってこいだ。そうと決まったら、俄然やる気になった。上階にたどり着くまでには息が切れるであろうことを予測して、玉緒は規則正しい歩みで非常階段をとんとんと上っていった。

 予測はしていたが、実際上ってみると、やはりキツかった。6階と7階の間にある踊り場に到着したときには、玉緒はぜいぜいと肩で息をしていた。運動不足甚だしい。自転車通学する日数をもう少し増やした方がいいかもしれない。ハァッ、と大きく息を吐き出して、玉緒は思い切り空気を飲み込んだ。夕暮れの匂いを残した夜の空気は、闇に清浄される最中にあるようだ。都会のど真ん中であるにもかかわらず、流れる風は心地よく、車の騒音や排気ガスからも解放されつつある気がした。色とりどりに散らされた明かりだけが、都会を映し出すシンボルのように見えて、いかにも滑稽だった。
 遠くに目を澄ますと、駅を発車したばかりの総武線がくねった線路を走っていた。つや消しされた銀の車体に黄緑色のラインが入った山手線も悪くないが、全身が山吹色の総武線は存在自体がレトロでいい。幼少時に遊んだ玩具の電車は、親戚のお下がりだったからか、単一色が多かった。その中でも柿色の中央線と山吹色の総武線は、鮮やかな色だからこそ視認できる傷が美しかった。
 程なく、総武線と入れ違いに山手線が駅に入ってきた。下車した人たちが、あっという間に駅から分散してゆく。歩行者優先のスクランブル交差点の信号が変わると、人の群れに気圧された車は苛立たしそうに並んだ。
 そうやって、電車、人、車が往来するだけの通りをどれくらい眺めていただろうか。
 自分と全く無縁の場所で繰り広げられる日常の営みは何とも空しく、だからこそ玉緒の気持ちを癒してくれた。そろそろ肌寒さを覚え始めた頃、玉緒はようやっとその場を離れる気になった。
 折角だから、帰りは建物内の階段を使おうと思った。非常階段と異なり、建物の中の階段は幅広い。こんな夕暮れにもなれば外とさほど明るさは変わらないものの、昼間は外に比べて非常に薄暗く、また6階や7階にもなれば階段を使う者よりエレベーターを利用する者の方が圧倒的に多かったが、広い階段を闊歩するのはそれはそれで楽しかった。4階くらいであれば女子生徒が階段に腰掛けて、お喋りに花を咲かせているときもある。玉緒は、非常階段から建物の中に続く扉を開けて、建物内の階段を下りようとした。
 そのときだった。
 玉緒が降りようとした階段の下方から、人の声がした。こんなところまで階段を上ってくる人も珍しい。そう思って、玉緒が首を伸ばして下方を見やると、そこには玉緒と同じはばたき学園の制服を着た男子生徒がいた。
 男子生徒の顔を見止めて、玉緒は思わずのけぞった。反射的に、建物内の階段を逆に上っていく。男子生徒も、玉緒を追うようにずんずんと階段を上がってきた。男子生徒から逃げるようにして、玉緒は階段を上り続けた。
 何でこんなところにいるんだとは思わない。彼は玉緒もよく知る人物で、高校三年生だ。玉緒が所属する生徒会執行部の先輩にあたり、名前を赤城一雪という。
 聞いた話だと赤城は一流大学の文科一類を目指しているらしい。受験を目前に控えた今、予備校に通っていてもおかしくないどころか、妥当も妥当、だから、できれば7階で講義室がある方へ曲がってほしかった。
 7階の上は、7階と屋上を繋ぐ踊り場しかない。こんなところで、同じ執行部の先輩とかくれんぼをするのはごめんだった。そんな後輩の祈りにも似た思いを全く無視して、赤城は7階と屋上を繋ぐ踊り場まで上がってきた。
 屋上へ続く扉の前には、学生が屋上に出たりしないようにと、階段の両サイドの手すりに鎖を通した「立入禁止」の看板が掲げられていた。屋上に繋がっていると思われる扉は、外側に出っ張っていて、人一人くらいならぎりぎり身を潜められる。無理があるとは思ったが、他に身を置く場所もなく、玉緒は咄嗟に扉の影に隠れた。薄暗さが幸いして、気づかれない可能性だってある。
 というよりも、こんなことになるくらいなら、最初から階段ですれ違っておけばよかったと玉緒は後悔した。
 相手は顔見知りの先輩だ、何かしら会話をせねばならない、その煩わしさから逃れるためだったとはいえ、こんな場所で情けなく隠れる羽目になってしまった。
 しかし今からのこのこ出て行くのも、もっと面倒なことになりそうだ。玉緒は大きく息をついた。

 やがて、先に7階の上の踊り場に到着した赤城を追ってくるようにして、一人の女子生徒が階段を上ってきた。
 女子生徒ははばたき学園の生徒ではなかった。上品なグレーのワンピースにオフホワイトのボレロ、真紅の紐リボン―。シンプルながらも品のあるそれは、羽ヶ崎学園の制服だ。
 羽ヶ崎学園といえば、偏差値で比較すればはばたき学園にはやや及ばないが、人気の高い進学校の一つであった。
 スポーツに力を入れていることでも有名で、羽ヶ崎学園の陸上部といえば、有名大学の陸上部も注目するくらいだとか。その上、はばたき学園の生徒会執行部と羽ヶ崎学園の生徒会執行部は、学校の枠を超えて親交がある。
 赤城の後を追って階段を上ってきた女子生徒も、恐らくは生徒会執行部の関係者に違いない。予備校で知り合って仲良くなったのかもしれないが、日頃の生徒会執行部同士の交流を考えれば、生徒会執行部繋がりで知り合ったと考える方が、妥当である気がした。
 一方、赤城といえば、生徒会執行部の中でもひときわ切れ者の先輩であるが、ちょっと近寄りがたいイメージもある。
 その彼が、予備校の人気のない場所で、他校の女子生徒と何を話すというのだろう。彼女がどんな女子生徒なのか気になったことも相俟って、好奇心から、玉緒はそろそろと階下の二人に目をやった。
 建物内の階段は音が響きやすいからか、二人は何やら小声で話していた。
 薄暗くて細かいところまでは見えないけれど、少女はちょっぴり気の強そうな、しかし美人であった。
 髪の色は、地理の参考書で見たことのあるバーントシェンナに似ていて、整った目鼻立ち、赤みの強い唇と、こう言っては何だが、確かに赤城が好きそうなタイプではあった。
 赤城は女子生徒に向かって、にこやかに微笑んでいた。赤城の仮面を被った別の生徒ではないかと疑いたくなるくらい、柔らかい表情をしていた。
 所詮は先輩と後輩の間柄でしかないので、玉緒は赤城のことをそれほど深く知っているわけではない。だが、それにしてもこの人はこんな表情をすることもあるのかと驚いた。いつもこんな風であれば、後輩から変な苦手意識を持たれずに済むのに、と余計なお世話まで焼いてみる。
 玉緒が忙しなく脳裏で独り言を展開している間に、赤城は少女の手を引き、あっという間に壁際に寄せた彼女の体をかき抱いた。
 えっ、と思わず声が漏れそうになったのを、両手で必死に押さえ込んで、玉緒は背を弓なりに反らせて隠れた。
 何故、一流大学を目指している赤城が、受験生にとって受講必至と名高い「一流大学英語」の時間に、誰も来ないような屋上近くの階段の踊り場で、他校の女子生徒と会っているのか。
 その意味を覚り、玉緒の顔は真っ赤に染まった。もう一度二人の方へ視線を向けると、二人は唇を重ね合わせていた。
 女子生徒は、ワンピースの裾から伸びるすらりとした脚を爪先立てていた。黒のタイツに包まれたふくらはぎが妙に色っぽくて、玉緒の目は少女の脚に釘付けになった。
 二人は小鳥同士が互いに啄ばみあうような口付けを繰り返していたが、その内に赤い舌がチラチラと玉緒の目につくようになった。
 彼女の腰に回された赤城の手が、ワンピースの上から少女の臀部を撫で回す。可憐なワンピースの制服は男の手によって蹂躙され、形が乱れた。風に煽られて捲れるというようなかわいらしいものではない。きわめて淫らな服の裾の乱れ方に、玉緒の胸は大きく鼓動を打った。
 まさかという懸念は、恐らく当たっているだろう。赤城の手はいつのまにか女子生徒のワンピースの中に潜り込んで、彼女のヒップを愛撫していた。
 少女の方も赤城の手を制することはなく、赤城の腰に両腕を回して、狂おしそうな口付けを続けている。
 二人の体は密着していて、下半身もぴったりとくっついていた。
 口付けの合間に、赤城が彼女の耳元で何かを囁き、女子生徒はくすくすと笑った。誰もいないと思い込んでいるからか、二人とも、まるで自室にいるような気楽さであった。

 そんな風に、彼らは暫くの間いちゃいちゃと体を寄せ合って戯れていたが、次第に、彼女のワンピースの中を弄る赤城の手が怪しく動き始めた。
 訝しく思って、玉緒が目を凝らすと、赤城の手は女子生徒のタイツをずり下ろしているのだと分かった。
 黒いタイツの中には、ペリドットのような淡い緑色が包まれていた。女子生徒の下着であろう。赤城は女子生徒を壁に寄りかからせると、彼女の脚を片足ずつ掲げ、タイツを剥いでいった。彼女のタイツと下着を、自分の制服のジャケットのポケットに突っ込んで、赤城は、今度は薄闇の中で優しく映える彼女の白い肌に手を這わせ始めた。女子生徒は頭を後ろへ傾けて、体をわななかせた。赤城は彼女の耳元や首筋を執拗に攻めているようだった。
 赤城が彼女の右脚を自らの脇に挟む。ワンピースが捲られた彼女の足の付け根が、少しだけ玉緒の目にも確認できた。
 白い肌とは対照的な漆黒の茂みは、赤城の指に前後に擦られ、ぬめぬめとした輝きを零していた。赤城の腕がスムーズに動いているのを見る限り、彼女は程よく濡れているのだろう。女子生徒は一生懸命声を押し殺していたが、切れ切れに喘ぐ声が時々玉緒の耳にも届く。赤城の名前を呼んで、彼を誘う女子生徒の声は、ひどく艶美であった。
 その内、体勢が辛くなってきたのか、赤城は階段に腰を下ろした。屋上に続く階段の下から三段目だ。玉緒に背を向けて座った赤城は、女子生徒を自分の膝の上へ招いた。少女はやはりくすくすと笑いながら、赤城の手に引かれるまま、彼の方へ歩み寄った。
 女子生徒は赤城の膝をまたいで、赤城と向かい合った。彼女の顔がはっきりと確認できた。睫毛はしっとりと濃く長く、黒目が際立っている。見た目は清楚そのものであった。物欲しそうな表情さえしていなければ。
 彼女は幸せそうに微笑んで赤城と見詰め合っていたが、間もなく赤城の膝の上に体を沈めていった。玉緒があっと息を呑んだときと同じくして、彼女が「あぁんっ」と喜びの声を上げた。
「かたいっ……、すごく、イイ……っ」
 彼女が焦がれたように吐露した。赤城の両肩に腕を回す。赤城は彼女のボレロを肩の後ろへ流し、ワンピースの上から彼女の胸のふくらみに顔を埋めた。 ワンピースの上からでも何となく想像できるくらい、彼女は豊満な胸の持ち主であった。
 赤城は彼女の胸に頬を摺り寄せつつ、彼女の腰を自分の方へと引き寄せた。
 玉緒の方に、女子生徒の白い膝下とほんのり赤らんだ膝小僧が向けられる。まるで熟れかけた桃のようだ。
 赤城に挿入されたのであろう彼女の体が、上下に震動し始めた。愛くるしい彼女の唇からは、「あっ、あっ」と苦しそうな嬌声が零れた。
 赤城は相変わらず彼女の胸のふくらみに顔を埋めながら、規則正しくピストン運動を繰り返している。まるで少女の体だけが目的のような性急な動きで、赤城は彼女を攻め立てていた。
 だが女子生徒は、そんな赤城の剥き出しの欲望ですら喜んで受け容れているように見えた。
 頬を紅潮させて赤城に突き上げられている少女は、うっすら笑っているようにも見える。
 赤城に導かれているようで、実は彼女の方に主導権があるのではないかと穿ちたくなるような、満足げな笑みであった。
 いつの間にか硬直していたらしい玉緒の足の付け根がズキンと疼く。
 欲望を吐き散らしているのは赤城だが、その道筋を赤城に示したのは、きっと彼女の方だ。
 言うことを聞いてくれそうで、男を立てながらも、その実さりげなく男の望む道をあらかじめ準備している器量。
 彼女は玉緒が求める女性像を具現化しているかのようであった。
 玉緒の喉を生唾が落ちていく。いつかああいう女を自分で満たしてみたい。女子生徒は、赤城に押し上げられながら、何度も「イイ」と媚びた声を上げた。そして10分くらいだろうか、女子生徒は赤城の尤物を十分に楽しんだ後で、赤城とともに果てへと上り詰めた。

 事を終えると、赤城は彼女に再び下着と黒いタイツを着けさせ、二人は手を繋いで階段を下りていった。
 何事もなかったように、お喋りしながら楽しそうに降りていく彼らを見ていると、玉緒の方が夢でも見ていたかのような気になった。
 赤城に見つからなかったから、それについてはとりあえず助かった。
 玉緒は、ハァ、と息をついてから、股間部に手を持っていった。
 すぐ目の前で痴態を見せ付けられた刺激は想像以上に大きく、ちょっとこのままでは歩けそうにない。が、さすがにここで抜いていくわけにもいかない。
 そういえば、赤城は吐き出した精をどのように処理したのだろう。少女が高みを制覇する瞬間の表情に夢中になっていて、赤城がどうしていたのかまでは気が回らなかった。
 玉緒は不自然な姿勢で階段を下りていった。
 赤城と彼女が繋がっていた段には、液体が散乱している様子はなかった。片付けている素振りは見られなかったが、一体どうしたというのだろう?
 そこまで考えて、玉緒は悩ましげにため息をついた。
 あの二人は、慣れている。
 こういうところでこっそりと、もう何回も数え切れないほどに体を繋ぎ合わせているに違いない。
 あんな澄ました顔をしていても、赤城も男なのだ。妙な親近感がわいてくる。
 今日は、もう帰ろう。玉緒はもう一度、今度は半ば笑いを含んだ息をついた。

とうりみやびさんへ
 (2010/9/2 Asa)