青空の下
琥一×主+姫条(GS)

 入道雲を抱え込んだ青い空から、強い日差しが降り注ぐ。
 今日はめっぽう機嫌がいいらしい、陽光はじりじりと肌を焦げ付かせては、琥一の心を鬱屈にさせた。
 こんな日は、なるべく外を出歩かないのが良い。慣れない人間が下手に炎天下の中を動きまわれば、熱中症にもなるだろう。
 どうしても外にいなければならない事情があるなら日陰を探し、なるべく日差しの餌食にならないようにすることが、最も効果的な防衛手段である。
 なのに、何故。何故、青空の真下、周囲に日陰も見当たらないようなベンチに自分は腰かけているのだろうか。琥一は、ベンチの背もたれにだらしなく寄りかかり、うんざりした表情で空を仰いだ。

 本日は、スタリオン石油主催の「熱闘!テニス大会」と銘打たれた懇親会が開かれていた。
 スタリオン石油は毎年恒例で、夏冬二回、社員、アルバイト、過去に勤務経験があった者を集めて、親睦を深める会を設ける。
 その際、ガソリンスタンドを空けるわけにはいかないため、二組に分かれるのが常なのだが、この夏はAグループが海辺のバーベキュー、そしてBグループが現在琥一の参加している「熱闘!テニス大会」に決まった。
 一見、バーベキューの方が断然良いように思えるだろう。無料で肉を食べられる魅力は大きい。しかし、同じくスタリオン石油でアルバイト勤務している幼馴染の少女のことを考えれば、琥一は海辺のバーベキューに参加するわけにはいかなかった。
 琥一が海辺のバーベキューに参加するとなると、彼女もそちらに参加すると言い出すに決まっている。自惚れでも何でもない。体だけは一人前に成長したものの、彼女の心は出会った頃のままだ。今尚泣く子も黙る琥一を「コウちゃん」と呼び、親鳥の後を追う雛のように琥一の後を追ってくる彼女の性格を考慮するなら、琥一の参加する方を彼女が選ぶのは目に見えていた。
 だが、大人びてしまった彼女の体は、男の目にはかなり刺激が強い。たっぷりとした胸、くびれたウェスト、引き締まってはいるが男を煽るような腰つき、そのくせ好きなタイプのファッションは挑発的なセクシースタイル。海辺の危険を呼び寄せる要素は無限大だ。琥一に、悠長に肉を食べている余裕などありはしないだろう。
 であるなら、テニスを選んだ方が無難だった。スコートならまだ健康的だ。またテニスコート周辺であれば、琥一の目も届きやすい。彼女が一緒である時点で、琥一に選択肢などなかったのである。
 テニス大会とて、それほど悪くはない。Aグループと異なり、Bグループは元手が掛からない分、リーグ戦の勝利者に賞金が出ることになっていた。その金額、しめて50リッチ。肉は食えずとも、50リッチは大きい。
 だから、分かってはいる。自分自身、納得もしている。だが、それでも。
「あっちぃ……」
 心底不愉快そうに琥一は呟いた。
 もとより夏は得意ではないのだ。冷房器具がない家でゴロゴロしていても、ガソリンスタンドでアルバイトをしていても、暑さはあまり変わらないだろうが、それにしても直射日光はとにかく暑い。
「そんなに言うなや」
 さっきから暑い暑いとそればかりを繰り返している琥一に、後ろから声が掛けられた。
 軽いノリの関西弁だが、貫禄がある。見知らぬ人物にそのように言われたら、「アァ?」と睨みを利かすところだが、声を掛けてきた主には頭が上がらない。琥一は相変わらずのだるそうな顔で声のした方を振り返った。
「ほれ」
 琥一に声をかけた男が缶ジュースを投げた。緩やかな放物線を描いた青の缶を、片手でキャッチする。キンキンに冷えた缶は触れただけでも気持ちよかった。
「あぁ……、悪ぃな」
 琥一はそれを一度首筋に当ててから、プルトップに指を引っかけた。
 喉を通り過ぎていくスポーツドリンクは、琥一の不快指数を程良く下げてくれた。
「よっこらせ〜、っと」
 男性は、琥一の隣に腰を下ろした。
 彼の名は、姫条まどかという。
 姫条はスタリオン石油のアルバイトの先輩であると同時に、はばたき学園の卒業生でもあるので、琥一や彼女にとっては高校の先輩にもあたる。
 年齢は20代半ばくらいだろうか。日焼けした風貌は一見ちゃらちゃらとして見えるが、よく見ると体つきも顔つきも精悍で、根も実はとても真面目であるので、軽いというよりはスマートと言った方が良いのだろう。
 彼女は「コウちゃんと姫条さんはよく似ている」と言っていたが、一体どこをどう見ればそんな風に映るのやら。姫条は、琥一とは真逆のタイプだと思う。
「このまま行くと、決勝はオレとオマエやな」
 こちらもスポーツドリンクを喉に押し込んだ姫条が、ニッと口角を持ち上げた。
「50リッチはコーコーセーにはデカイやろな。苦学生ならと・く・に。苛めがいがあってエエわ」
「誰に向かって言ってんだか」
 挑戦的な姫条の言葉に、琥一もクッ、と笑いを噛み殺した。
「こちとら生活費が掛かってんだ。現役高校生をナメんじゃねーぞ?」
「おっ、言うやないか」
 姫条はニヤニヤと薄笑いを浮かべて、足を組んだ。
「ほんなら、桜井が勝ったら、もうひとつ、おまけつけたるわ」
「オマケだぁ?」
「そ。とっておきの情報やで?はばたき学園、きっての昼寝場所。氷室も知らんやろな。何せ、理事長のプライベートスペースすれすれやから。サボリにはもってこいや」
 姫条の言葉の最後の方は囁きめいていた。
 はばたき学園内に、氷室も知らない秘密の場所なんて、果たして存在するのだろうか。
 どこに逃げようとも執拗に追ってくる氷室と大迫のデコボココンビに苦労している琥一としては、何だか信じられない話だった。
「んーな都合のいい場所なんざあるわけ」
「あるんやて、それが」
 姫条はチチチと人差し指を立てて左右に振った。
「オレも、そこをよう使わせてもらっとった。確かにまずは撒かんとどうしようもないけどな。撒くのに成功すれば、後は絶対見つからん。保証すんで。よかったら、彼女とエエ事するのにも使ったらええわ」
「……」
 最後の一言は余計だ。だが、姫条が勧めるサボリ場所、というのに好奇心がくすぐられた。
「わーったよ」
 琥一はしぶしぶではあったが、体を前方に起こした。
「どっちにしろ、アンタを倒さねぇと50リッチは手に入らねぇ。悪ぃが、本気でやらせてもらうからよ。……で?もし、万が一、アンタが勝ったら?俺は何をすりゃあいいんだ?」
 姫条は一瞬目を丸く見開いたが、悪戯っぽく笑った。
「察しがええやないか」
 フン、琥一は鼻でせせら笑った。
「タダより高い物はねぇってな。……なんだよ」
「オレが勝ったら、オマエんとこのカノジョ、貸してくれへん?」
「アァ?」
 琥一の口から、今年一番の凄みが出た。彼女のことになると、途端に目の色が変わるのだから、何とも純情な男である。
「アホ。何、勘違いしとんじゃ」
 姫条は据わった目を細めた。
「オレが会社経営しとんのは知っとんな?その仲間の一人がイベント会社やっとんのや。で、来月予定しとるイベントで、コンパニオンが足りんくてな」
「断る」
 琥一はピシャリと断言した。
「コンパニオンって言ったら……、アレだろうが。ヤケに露出度の高い……」
「チューブトップな。まぁ、背中やら肩やらはそんなに出さんでええ。結構ええもんやで?1日で20リッチ。小遣い稼ぎにはもってこいやんか」
 1日20リッチ。琥一が1ヶ月に稼ぐ3分の1をおよそ1日で稼げるという話に、一瞬気が遠くなりかけたが、それだけ稼げるということはすなわち露出度も自然と高くなる……はずだ。
「何がだ。絶対、ダメだ」
「カノジョはええよって言うたで?」
「アァ?」
「衣装見せたったらな、カワイ〜!言うとったわ。ほんで、仕事終わりに、桜井と一緒に焼肉連れてったんで、言うたら、目ぇキラキラさせて、やります!って。えぇな〜。愛されてんな〜」
「ったく……。アイツは、どうしようもねぇな……」
 まんまと姫条のいいように話を持って行かれた彼女に頭を抱えたくなったが、彼女の好きそうな衣装と琥一をネタに彼女を釣る姫条も大したものだ。恋敵にだけは絶対回したくない。
「ま、そんなにカノジョのセクシーショットを他の男に見せたないんやったら、オレに勝てばええだけの話や。な、桜井クン」
 姫条はひらひらと掌を振った。
「ほれ、言うてみ?『俺様の美技に酔いな』」
「アホ!誰が言うか!」
「つまらんやっちゃな〜。決め言葉の一つくらい言わんかい」
「勝手にやってろ」
 琥一は呆れたように眉をひそめて、立ち上がった。
 50リッチと、彼女が多くの男の目にさらされかねない貞操の危機がかかっている。
 こんなところで油を売っている場合ではない。他の奴なら、軽くいなすだけで勝つこともできるだろうが、恐らく姫条は本気で掛かってくる。今の内から体を慣らしておこうと思った。
「決勝まで上がってくるんやで〜」
 相変わらず軽い口調で言ってくる姫条に「そっちもな!」と凄みで返し、琥一はウォーミングアップのためにその場を立ち去った。

 予想通り、決勝戦は、第一ブロックを勝ち上がった姫条と、第二ブロックを勝ちあがった琥一の決勝戦となった。
 結果はというと―、手っ取り早く言うなら、琥一が勝った。
 しかし、勝ったと言ってもぎりぎりであった。運動能力は琥一の方が圧倒的に秀でていたが、姫条はとにかく頭脳プレイに優れていて、琥一はコートの端から端までくまなく走らされた上に、試合中に何度もメンタルを揺さぶられた。
 疲れる相手であったことは間違いない。できれば二度と戦いたくない。だが血潮が沸き踊るような感覚は久しぶりだった。もともと体を動かすこと自体は嫌いではないのだ。彼女の艶かしい姿を人目に晒すことも免れた。賞金も貰えたことだし、よしとするか。お蔭様で、暫くの間は昼食にも困らない。
 それに、姫条がしぶしぶながらも教えてくれた秘密の場所は、姫条が交渉に持ちかけてきただけあって、非常に過ごしやすい場所であった。
 学校の敷地内ではあるが、理事長のプライベートルーム近辺ということもあって、まず人が寄り付かないのが良い。その上、風通しもよく、真夏の暑さを凌ぐにも申し分ない。
 但し氷室に勘付かれたら一巻の終わりなので、琥一は昼休みの間にその場所に赴いて、午後の授業をやり過ごすというのを常としていた。
 ごろりと寝転がると、琥一の視界を忙しなく右から左へと移動する雲の群れがよく見えた。
 どの学年の授業なのかは知らないが、体育の時間なのだろう、校庭の方はやけに賑やかであった。生徒たちの弾む声は、昼寝のBGMにするにはいささか不釣合いな気もするけれど、ここのところアルバイトの遅番勤務が続いていた体には、それでさえ心地よかった。
 生ぬるい、穏やかな空気に包まれ、するりと眠りに引き込まれていく、その瞬間だった。琥一の目の前を、さっと人の影が過ぎった。
 喧嘩に明け暮れていた中学生時代の生活の賜物か、それとももともと彼に潜んでいる能力なのか、琥一は人の気配には敏い。
 人が折角気持ちよく昼寝しようってところに水を差すのはどこのどいつだ。殺気を丸出しにして、琥一は薄く目を開いた。
 琥一の目に、一人の少女の姿が飛び込んでくる。少女は不機嫌な野獣の殺気などどこ吹く風、琥一の隣にちょこんと横座りをして長閑な空を仰いでいた。
 その暢気な様子に、なんだコイツかと安堵するも束の間、つと琥一の脳裏に疑問が沸き起こった。
「……オイ」
 琥一は低くくぐもった声で彼女の名を呼んだ。
 琥一の声に反応して、少女が振り返る。少女はふわりと微笑んだ。
「あれっ、起こしちゃった?」
「起こしちゃった?じゃねぇよ。何でオマエがこんなとこにいんだ」
「そういうコウちゃんこそ、どうしてこんなところにいるの?今は授業中だよ?」
 彼女はふふふと声を立てて笑った。
「俺ぁ……、別にいいんだよ」
「じゃあ、わたしも。別によし」
「バカ。オマエはダメだ。とっとと授業に戻れ。つーか、何でこの場所」
「姫条さんに聞いちゃった。コウちゃんに、いい昼寝場所を教えたけど、あんまり頻繁に授業をサボるようなら、連れ戻しに行けーって」
 チッ、舌打ちになっていない言葉を、琥一は吐き出した。
「何言ってやがる。正当な権利だ。試合で勝ったら教えてもらう約束だったんだからな」
「あ、あのテニスの試合のこと?あれ、本当にすごかったよね。いつまでラリーが続くんだろうって思うくらい、打ち合いが続いたもんね?あの姫条さんに勝つなんてコウちゃんが初めてだって店長が驚いてたよ」
「バーカ、誰に向かって言ってんだ。誰が相手でも、俺が負けるなんてありえねぇ」
「もう!俺様だなぁ」
 彼女は楽しそうに表情を綻ばせて、ぽんと自分のスカートの上に手を置いた。
「さ、どうぞ」
「アァ?」
「膝枕してあげる。お昼寝、するんでしょ?」
「なっ……」
 思いも寄らなかった彼女の申し出に、琥一はうろたえた。
「バカ、何言って……、つーか、オマエは授業に戻れ。こんなとこでサボんじゃねぇ」
「サボリの常習犯がそれを言うかな……。大丈夫だよ、5時間目の授業、急遽自習になったんだ。だから、わたしはここでコウちゃんの枕係」
 ほら、いらっしゃいませ。彼女はにこにこと両手を広げている。琥一は気恥ずかしそうに横目で彼女を見ていたが、「膝枕」という魔力たっぷりの響きには勝てなかった。何回も言葉面だけの舌打ちを繰り返し、上半身をずりながら、彼女の方へ体の向きを変えた。
 そうっと彼女のスカートの上に頭を乗せると、彼女が愛用しているコロンの香りが立ち上がった。
 彼女は可愛い顔立ちをしているのに、容貌からは想像できないような、ちょっとスパイシーな香りを好んだ。そんなギャップもまた愛らしいのだが。彼女に気づかれないように、琥一は思う存分彼女の香りを吸い込んだ。
「枕の具合はいかがですか、琥一先生?」
「わ、悪かねぇぞ」
 下から彼女を見上げると、ふくよかな胸の辺りに視線が集中してしまうので、琥一は視線を宙に泳がせたまま答えた。
「よかった」
 緊張して口調がしどろもどろになっている琥一の心中などお構いなしといったように、彼女は再び空を見上げた。
 彼女のことを意識してしまって仕方のない琥一とは逆に、彼女はごく自然体であった。面白いことも気の利いたことも言えない琥一と一緒にいて何が楽しいのか分からないが、彼女が気楽そうにしているので、とりあえずほっとする。
「6時間目には、オマエは戻れ、いいな」
「うん。コウちゃんも一緒だよ?」
「俺ぁ、いいんだよ」
「ダーメ。コウちゃんが6時間目サボるんなら、大迫先生と氷室先生にこの場所のこと言いつけちゃうからね」
「そりゃ、オマエ、ナシだろ」、オイオイとぐったりした声で琥一は返した。
「つーか、アレだ、そんなことしたら、姫条にも迷惑かけちまうだろうが。もともとはアイツが在学中に使ってた場所なんだからな」
「んなもん、もう時効やー」
 姫条の口調を真似て、彼女はからからと笑った。
 そして、おもむろに琥一の片方の手を取ると、彼女は互いの指を組み合わせるようにして手を繋いだ。
 喧嘩の際にそれで殴ったら十分凶器になるであろう指輪が嵌められた琥一のいかつい手と、小さく柔らかな彼女の手の組み合わせはいかにもちぐはぐであった。
 だが、悪くない。
「チッ……、とんだ奴にバレちまった」
 琥一はぶつくさ言いながらも、柔らかく、温かい彼女の手に応えるようにして、そっと彼女の手を握り返した。

愛音さんへ
 (2010/9/12 Asa)