BAMBINO
新名×主+カレン

 はばたき学園のアイドルの一人である花椿カレンが新名のクラスに飛び込んできたのは、土曜日の昼休みのことであった。
 女子たちの黄色い声が飛び交う中、颯爽と現れたカレンは、「仕事のことで話がある」などとわけのわからない理由で新名を連れ出そうとした。
 アルバイトの勤務先が同じわけでもない新名に対して、そんな理由で呼び出すなんて、よっぽど深い事情があるに違いない。
 きっと、カレンが猫かわいがりしている少女に関することだろう。というよりも、カレンと新名の共通点といったら、それくらいしかない。新名は「いいっスよ」と頷くと、女子たちの冷ややかな眼差しを避けるようにして、カレンに従い、裏庭へと足を運んだ。
「こんなとこに呼び出して、話って、一体なんスか、カレンさん」
 ここまで来たらもういいだろうと思ったのであろう。カレンはくるりと振り返り、それまでクールを装っていた顔を、一転、くしゃっと崩した。
「ニーナぁ〜。アタシを助けて!」
 カレンがわっと新名の懐に飛び込んできた。
「はぁっ?」
 新名は素っ頓狂な声を上げた。こんなところを見られでもしたら、カレン様親衛隊にボコスカウォーズされてしまう。新名は慌ててカレンの体を引き離した。
「ど、どうしたってーの!?」
 カレンは口を「へ」の字にしたまま、目を潤ませながら新名を見つめた。顔立ちの整った綺麗なカレンの面容は、女子でなくても胸をドキンとさせる魅力があった。
 カレンは泣きそうな声で続けた。
「今晩、花椿で内々のパーティーがあるんだ」
 花椿一族のパーティー。聞いただけで、別世界を彷彿とさせる話だ。新名は「へぇ、そりゃスゲェ」と素直に感嘆した。
「”へぇ、そりゃスゲェ”じゃない!今回の主催者は花椿姫子!アタシのおば…じゃないお姉様!ヤバイよ!ヤバすぎる!」
 カレンの説明では、何がやばいのかまではよく分からなかったが、カレンがわざわざ主催者を「お姉様」と言い直したことから、何となく大変なんだろうなという予感はする。
「今夜は、お姉様にキューティー3を紹介することになってて!バンビとミヨのためにパーティードレスを用意したわけ!ところがさ?ミヨは何が何でも行かないって言い張るし、お姉様はお姉様でアタシがバンビのエスコートをするのはルール違反だって言い出すし!んもう、アタシにどうしろって言うわけ!?」
 あーあ、最後は逆ギレですか。
 ハイテンションでまくし立てるカレンを、新名はハイハイと宥めた。
「で?オレは何をどう助けてあげたらいいワケ?」
「よくぞ聞いてくれた!そこでニーナの出番ってわけよ!」
 カレンはずいと新名に顔を寄せると、大きな音を立てて、両手を目の前ですり合わせた。
「今晩、バンビのエスコート役として、アンタにウチのパーティーに参加してほしいの!お願い!一生のお願い!」
「そりゃ、他ならぬ花椿カレンの頼みとあれば、聞いてやりたい気もするけど?……つーかなんでオレ?」
「アンタ以外、頼めっこない!」
 カレンは真っ直ぐに新名に目を注ぎ、断言した。
「いい?考えてもみて!桜井兄弟なんて連れていってごらん?お姉様の関心は桜井兄弟にも向けられちゃうだろうし、何よりバンビの身が危ない!設楽先輩に頼んでもいいかと思ったけど……、設楽先輩の家は、ウチともお付き合いがあるし、色々面倒なのよ。バンビが設楽先輩の恋人〜なんて社交界で広まったら、アタシ、どうしたらいいか!」
「オレなら、あのコの恋人には見られないってこと?」
「違う!ニーナだったら、少なくともバンビとカップルでも社交界の噂の餌食にはならなくて済むってこと!ニーナだって、かわいいバンビと一緒にパーティー出られるんだよ?これはもうアタシを助けるしかないよね?ね?」
 もとより花椿一族のパーティーというきらびやかな響きには好奇心をそそられるものがある。
 その上、「かわいいバンビ」を持ち出すのは、ズルイ。カレンのセンスは言うまでもなく折り紙付きである。そのカレンが花椿一族に友人として紹介するために設えたドレスを、彼女が着るというのだ。これを拝まずしてどうする。
 欲望に忠実に、新名は二つ返事で承諾した。

 カレンが彼女のために用意したというドレスは、大人っぽい深紅色のものであった。
 カレンが彼女のエスコート役に桜井兄弟を指名しなかったのは、非常に賢明であったと言える。
 彼女は着痩せするタイプなのか、露出度の高いホルターネックのドレスを着ると、意外と豊満なバストをしているのが分かった。きゅっとくびれたウエスト、羽根が生えていてもおかしくない美しい背中、それから形よく引き締まったヒップと、大変煽情的な体つきをしていた。
 彼女のこんな姿を見たら、幼馴染の少女を溺愛している桜井兄弟は大喜びするに違いない。
 事実、ある程度は臆病な自らを心得ている新名ですら、深紅のドレスに思わず手を伸ばしたくなってしまう程、彼女には危うい艶めかしさが漂っていた。
「結構大胆なカットだよね……。本当に、わたしがこういうの着ても場違いじゃないのかな?」
 彼女は少し照れたように小首を傾げた。
 佇まいは艶やかそのものなのに、仕草に普段の楚々とした雰囲気が残っているのがまた男心を煽る。
「ぜんっぜん!超似合ってるし!」
 新名は熱っぽく彼女を褒めた。
 カレンは彼女のことをよく得心していると思う。というよりも、カレン自身はれっきとした女性であるが、男目線というものを理解している。
 彼女をエスコートするはずの新名も、つい彼女の方をチラチラと見てしまう。新名の位置からだと、彼女の胸の谷間がくっきりと確認できるのだ。しなやかに弛んでいる白い膨らみが二つ、上品な深紅の布地に包まれているのは、それだけで十分官能的であった。
 新名の視線に気づいたのか、彼女が上目遣いに新名を見上げた。
 まさか新名が自分の胸元を注視しているとは思わない彼女は、新名の腕に手を触れ、新名の瞳を覗き込むようにして、ふふっと照れくさそうに微笑んだ。
「今日は、宜しくね?突然のことなのに、エスコート役、引き受けてくれてありがとう」
「え?あぁ、いいって。今日のアンタ、超綺麗だし。役得って言うんじゃね?こういうの」
 新名は、自分の声がほんの少し震えているような気がした。胸がじんと熱くなる。神様仏様カレン様、本当に有難う。新名は大声で叫んで回りたい気分だった。

 カレンいわく「お姉様」の花椿姫子や花椿一族の皆様へのご挨拶は、気が抜けてしまうくらい、呆気ないものであった。
 花椿姫子は有名人であり、新名も姫子の名前を知っている。脅威の縦巻きロールは「お蝶婦人か」と突っ込むべきかどうか迷ったが、醸し出すオーラや貫禄はさすがであった。
 姫子は彼女を見るや否やたいそう彼女のことを気に入ったようで、彼女を美しい花の名前になぞらえ、それから、あれやこれやと学園生活について尋ねた。
 だがそれでも、30分もすれば話は終わってしまい、後は、普通のパーティーと変わりなかった。
 カレンが言うような「ヤバい」印象はなかったような気がするけれど、それだけ滞りなく事が運んだということなのだろう。彼女、新名、双方ともにカレンの友人として招かれただけあって、主賓ではないにせよ、良い待遇を受けた。
 新名の目から見れば色気全開であるように見える彼女に対しても、花椿の男性たちはあくまで紳士的で、新名がわざわざボディガードを申し出る必要もなさそうだ。
 そういう意味では確かに、この場で彼女のエスコートをするのは、彼女を可愛がるあまり攻撃的になりかねない桜井兄弟や、花椿一族の面々と少なからず面識のありそうな設楽よりも、一見チャラチャラしているようでも新名の方が適切だったのであろう。
 ノンアルコールカクテルやいかにも美味しそうな食事に舌鼓を打って、彼女と新名は花椿の豪華なパーティーを楽しんだ。

 パーティーも半ばに差し掛かった頃、こちらも自分自身の挨拶回りを終えたというカレンに促されて、二人はパーティールームを離れた。慣れない場所にずっといるのは窮屈だろうと、カレンなりに気遣ってくれたらしい。
 案内された場所は、こじんまりとしたゲストルームだった。
 とはいえ、内装はやはり豪奢そのもので、調度品もいかにも高価そうなもので占められていた。
 ま、所詮、金持ちの考えることなんて、分かんねーし?
 庶民代表を自負している新名は、むしろ、彼女が感心したようにあちこち見回している様子を楽しそうに見やった。
「ニーナ、あそこに座ってみようよ」
 彼女は瞳をきらきらと輝かせて、部屋の中央に置かれている長椅子を指差した。
 それは、ヨーロッパの王宮に展示されていそうな立派な長椅子であった。さすがに花椿一族の所有物とあって、インテリアの中に溶け込みつつも、それだけ取り出してみても大いに芸術的な価値がありそうな代物だ。
「ハイハイ、かしこまり」
 新名は彼女の手に引かれるまま、長椅子に腰を下ろした。
 長椅子は座り心地も抜群であった。ふわふわとしているが、決して体全体を飲み込んでしまうわけではない、体に負担が掛かりづらい仕様になっている。
「なんだか、すごいねぇ……。花椿家って、本当に上流階級って感じがするよね」
「そりゃ、そうでしょ。花椿吾郎って言ったら、世界のブランドだし」
「そういえば、花椿先生もはば学出身なんだよね?」
「そ。ホント、有名人の宝庫だよな。はば学って」
「ニーナの大好きな葉月珪もいるしね?」
 彼女はクスッと小さな笑みを零した。
 その表情は、年の離れた弟をいとおしむ姉のそれのようであった。本人に悪気はないのかもしれないが、深紅の大人びたドレスに身を包んでいる今夜は、いつもよりももっと彼女が年上なのだという現実を突きつけられているような気がする。
「こんなところで子供扱いするなんて、ナシじゃね?」
 新名はふてくされた。隣に座っている彼女にくっつくすれすれまで身を寄せ、それから喉を鳴らすように彼女に囁きかけた。
「このまま、ここでアンタを押し倒すことだって、できるんだぜ?」
 彼女は目をまんまるに見開いた。
 しかし、パーティーの熱に浮かされたのか、彼女も負けてはいなかった。嫣然と微笑み返すと、彼女はすらりと伸びた腕を新名の肩に回した。
「押し倒して、どうするの?教えて?ニーナ」
 まさか彼女がそう返してくるとは思わなかった。
 濃艶な笑みを象るつやつやの唇と、下のふくよかな膨らみへと続くきめ細やかな白い肌が、途端に新名の本能を刺激した。
 全身に取りつけられた導火線が一気に点火したかの如く、新名の体はカッと熱くなった。
 進むのか、退くのか、脳裏で繰り広げられる戦いは、しかしながら、数秒も経たない内にけりがついた。
 新名は彼女に傾きかけた上半身を起こし、「ズリィ」と弱弱しくこぼした。
「ズリィっしょ……、ここでそんな風に切り返すの。オレにそんな度胸ないって、知ってるくせに」
「ふふ、ごめん」
 刹那、お色気モードに突入したかと思われたが、新名が再び彼女に目を戻したときには、彼女はいつものようにふんわりとした愛くるしい微笑をたたえていた。
「ごめんって、簡単に謝られると、それはそれで傷つくんですけど?」
 新名はじっとりとした恨みがましい目つきで彼女をねめつけた。
 彼女は、新名は狼にはならないと知っていて、意地悪をしたのだ。新名がまだ子供だと思って。
 腹が立ったが、実際に自分が彼女に食いかかることができるとは思えない。新名は自分が情けなくなった。
「ホント、アンタってさ、どうしようもない小悪魔だよね。男が皆、オレみたいにジェントルマンだと思ったら、大間違いだから。ていうか、そんな恰好で男を誘ったら、フツーはまずアウトだから」
「でもニーナはアウトじゃなかったでしょ?」
 彼女は丁寧に新名の頭を撫でた。よしよし、そう言って新名の髪に触れる彼女の手つきは優しかった。
「ニーナはいい子だね。大好きだよ」
「まーた、子供扱いしてくれちゃって、このコは……」
 新名は、ハァッと大きなため息を吐き出した。
 だが、新名を見つめてくる彼女の表情はとても愛くるしかったので、新名は彼女の手を振り払うことなく、彼女のするがままに任せた。
 いつか、彼女があっと驚く程の男っぷりを発揮できたらいいのに。
 一年の差が大したものでなくなるまで、恐らくはあと数年。一体どれだけ背伸びをすれば、自分の気持ちを分かってもらえるのだろう。新名は尚も恨めしそうに口を尖らせて彼女を見つめ返した。

mamoさんへ
 (2010/9/15 Asa)