Il giorno della Mimosa
ヴィシャス×アメリア(DEATH CONNECTION)

 冬の寒さが徐々に息を潜め、穏やかな日差しと甘い花の香りが町を包み始めた。
「ほー、もうすっかり春だなー」
 ヴィシャスは鼻歌交じりに呟くと、空を仰いだ。
 落陽の時間も随分延びた。空はまだ仄明るく、小さくちぎれた雲の大群が悠然と漂っている。
 ようく目を凝らしてみると、雲の一つ一つが、ケーキのように見えた。ケーキが目の前にずらりと並んでいるかのような光景に、ヴィシャスはふと一月前のことを思い出した。
 先月の14日、聖ウァレンティヌスの殉教に由来する「愛の誓いの日」とされるその日、アメリアは甘いものが好きなヴィシャスのために、あらゆる種類のケーキを用意した。そのどれもが美味しくて、ヴィシャスは一時間あまりで全てを食べつくした。その後は、夕食を取るのも忘れ、ベッドの上で何度も何度も抱き合った。今思い出しても、顔がにやけてしまいそうになる。緩みがちな口元を引き締めるべく、ヴィシャスは両の手でパンパンと左右の頬をはたいた。

 タランティノファミリーの手にかかって命を落とすまでの17年の間に、ヴィシャスは幾度かの女性経験がある。女性を抱くという行為に対して、今更、感慨深いも何もない。
 だが、アメリアに出会い、ヴィシャスは「初めて」感じた気持ちがあった。
 絶対に失いたくないもの。その人を失わないため、力の限り守ってやりたい。自分が見ている表面上の彼女だけでなく、自分が見落としているかもしれない彼女の本質をも知りたい。
 彼女の息吹が途切れるその瞬間まで、ヴィシャスはアメリアの傍にいたいと思った。
 「リミット」を迎え、死後繋がれていた場所に戻ったときも、初めて知った気持ちのまま彼女と紡ぎたいと願った未来を諦めることはできなかった。
 俺様気質の「地獄の王様」ジャンに、額に擦り傷ができるくらい跪いて、頼み込んだ。
 本来いるはずのない生者の世界にもう一度戻りたいという死神の願いに、ジャンは最初こそ「何を馬鹿げたことを」と取り合ってもくれなかったが、ついにはヴィシャスのしぶとさに根負けした。
 そうして、ヴィシャスは晩秋のある日、町に戻ってきた。
 時は、あれから三年が経過していて、アメリアはすっかり女らしくなっていた。
 17のアメリアも少女然として愛らしかったが、20歳を迎えたアメリアは艶を帯び、ヴィシャスは再会したアメリアと過ごす毎日が楽しくて仕方なかった。
 にやけるなと言われても、毎日三回くらいはにやけている。幸せなのだから、これだけはどうしようもない。一応、そのたびに自制を言い聞かせているのだから、それでよしとしたいものだ。

 そんな風にアメリアを思いながら細い路地を進んだ先、ヴィシャスは開けた場所に出た。
 アメリアから頼まれた日用品の買い物のため、商店街に向かって歩いていたはずなのだが、いつしか公園通りにやってきていた。
「やっべー……。またやらかした」
 あーあ、とヴィシャスはため息を零して、前髪をかき上げた。
 ちょっとくらい寄り道をしたところで、アメリアが口うるさくヴィシャスを責めることはない。けれども、ヴィシャスと暮らし始めた今も、アメリアは時折教会の仕事のお手伝いへ出かけてゆく。ヴィシャスに与えられた時間は永久に近い長さを誇るが、アメリアに与えられている時間はひどく短い。二人で一緒にいられる時間は大切にしたい。ふらふらと出歩いている余裕はないのだ。ヴィシャスは慌てて踵を返そうとした。
 と、そのとき、公園の入り口のすぐ傍に、普段は見かけない屋台が出ているのをヴィシャスは見止めた。
 屋台は黄色にまみれていた。否、正確に言うなら、黄色い花束で溢れていた。墓地も近いその近辺には花屋が多いが、屋台の花売り、しかも一つの花だけを売る店は珍しい。何だろう、好奇心に引かれて、ヴィシャスは屋台の方に近寄った。
 屋台の店主は、ヴィシャスの姿を見止めると、満面の笑顔を見せた。
「いらっしゃい!一束でいいかい?」
 寄っていって、見ていって、ではなく、近づいてきたヴィシャスが花束を買うものとして声をかけてきた店主に、ヴィシャスは不思議そうに首をかしげた。
「なぁ、オッサン。なんで、この屋台、こんなに黄色まみれなんだ?」
「は?」
 店主は丸っこい目を更に丸く見開いて、それから笑い出した。
「黄色まみれって……、そりゃあ当たり前だろう!ミモザは黄色いもんだろ?」
「へー、この花、ミモザってのかー。あ、いや、そういうことじゃなくて」
 ヴィシャスは困ったように後頭部を掻いた。
 ヴィシャスが命を落としてから6年、3年前に一時生者の世界に舞い戻ったけれど、それも数ヶ月程度のこと、6年の間にヴィシャスが知らない流行ができていてもおかしくはない。
 もしそうだとしたら、ヴィシャスと店主の話が食い違うのも当たり前だ。知ったかぶりをしたところで何も始まらない。ヴィシャスは覚悟を決め、店主に向かって口を切った。
「この花、どこかに飾んのか?」
「どこかに……って、お前さん、恋人に贈るんじゃないのかい?っていうか、今まで、ミモザをマンマに渡したことはないのかい?」
「マンマ?あー、悪ぃ。オレ、孤児だったんだ。一般家庭の決まりごとは、オレには分かんねぇ」
「何だ、そういうことか」
 目の前の客が、小さい頃からその伝統を享受してきたわけではないということを覚って、店主は憐憫を込めた微笑を浮かべた。
「今日はフェスタ・デラ・ドンナだ!マンマはいなくても、今のお前さんに、恋人の一人くらいいるだろ?日頃の感謝を込めて、贈ってやるといい。うちのミモザは香りも絶品だよ!」
「フェスタ・デラ・ドンナぁ?」
 ヴィシャスは素っ頓狂な声を上げた。
 5月の半ばに祝われるというフェスタ・デラ・マンマ(母の日)の話なら聞いたことがあるが、3月8日のフェスタ・デラ・ドンナ(女性の日)は耳にしたことがない。
 しかし、ヴィシャスがその記念日を知らなくても、アメリアが知っている可能性は高い。それならば、流行に乗るのも悪くないかもしれない。折しも1ヶ月前には、ケーキのプレゼントを大量に頂いたところだ。
「わーったよ。買うよ。一束くれ」
 ヴィシャスはポケットに手を突っ込み、リラ紙幣を数枚取り出すと、店主の手の上に乗せた。

 アメリアに花束を贈るのは、何も今回が初めてではない。
 けれども、店主の言葉が脳裏に焼きついていて、ミモザの花束を持つ手は妙に緊張していた。
 アメリアに抱いている日頃の感謝、なら、多すぎて、いくら感謝しても足りないくらいだ。女性のために、感謝の証としてミモザの花束を贈る風習があるというのであれば、それはそれでいい。
 引っかかっているのは恐らく「マンマ」の方だ。女性の日がいつから始まったのかは知らないが、孤児にとっては、母の日も女性の日も変わらぬ「忌むべき」日だ。母親に何かを贈る、というだけで劣等感が刺激される。物心ついたときにはルチアーノが側にいたので、母親なんていなくてもいいと強がってきたが、母親を渇望する気持ちが全くないかと言われればそうでもない。
「どんな感じなんだろーな……。母親って」
 妻のアメリアも、母を知らずに育ってきた身だ。孤児が二人して母に感謝を伝える日に向かい合ってみたところで、想像力を駆使しようにも限度がある。
「勢いで買ってきちまったけど……。大丈夫かな」
 嫌がられないだろうか、と、ヴィシャスの胸に不安が過ぎった。
 生活上の、こんな些細なことにさえ戸惑いを感じる。6年間地獄にいた期間は別にしても、生きている17年の間、普通の暮らしに馴染んだことのなかった自分の日常を呪いたくなった。
 ファミリーに入るまでは、その日の衣食住に悩まされながら犯罪を重ね、サルヴァトーレファミリーの一員として名前を連ねるようになってからは、ファミリーのため、ボスのため、抗争があれば銃撃戦に身をやつし、後はファミリー拡張に伴う作業に狩り出されて、どっぷりとマフィアの生活に浸かってきた。
 セルビアの言ったとおり、一度マフィアの世界に足を踏み入れた者は、そこで生を費やすしかなかったから。
 だからこそ、アメリアにコールされたことによって始まった奇妙な数ヶ月間は、生きていた17年よりも価値の高いものになったのだろう。普通の女(やや箱入り娘であったことは否めないが)と普通の恋愛をし、戦いもあったが、その中に普通の生活が存在していた。アメリアは「普通」という、ヴィシャスがそれまで持ち得なかったものを、惜しむことなく与えてくれた。
 そう考えてみると、母親という自分に欠けているピースが、それほど恋しくなくなった。確かに、ヴィシャスは「母親」を持っていない。しかし、それは今の自分が死者であるということと同じ、ただの事実に過ぎない。
 マンマという言葉の魔力にいまだに捕らわれているのは、きっと自分だけだ。
 ヴィシャスは大きく深呼吸すると、花束を肩に担ぐようにして、大股で歩き始めた。

「ただいまー」
「おかえりなさい」
 帰宅したヴィシャスを迎えに出てきたアメリアは、ヴィシャスの姿を目に入れた途端、驚いた顔をした。ヴィシャスの肩に肩飾りのようにしなだれかかっている黄色い花を、アメリアはまじまじと見つめている。
 ヴィシャスはどのように話を切り出すか迷って、もごもごと口ごもった。
「あー、これはだな、その」
「おどろいた……」
 しどろもどろになっているヴィシャスに向かって、アメリアが柔らかく微笑んだ。
「あ?」
「ヴィシャスがイルジョルノ・デラ ・ミモザ知ってたなんて、驚きだわ……」
「なんだそりゃ?」
「だってそうでしょ?3年前、ニコールさんがいた頃ならともかく、ヴィシャスがフェスタ・デラ・ドンナ、ミモザの日に興味を持つなんて思わなかったから」
「あー……、まぁな」
 アメリアの言うことは外れていない。興味どころか、知識さえ持っていなかった。ヴィシャスは「ん」と言って、アメリアに押し付けるようにして花束を渡した。アメリアは「ありがとう」と表情を綻ばせながら、ミモザの花束を受け取った。
「すごく嬉しい。ヴィシャスがミモザの花束をプレゼントしてくれたってことは、今夜は、私もどこかに出かけてもいいってことよね?シスターはさすがに夜の外出はできないだろうし……。そうだ、セルビアさんを誘おうかな?」
 独り言のように一人で話を進めてゆくアメリアに、ヴィシャスは怪訝な顔をした。
「あ?何の話だ?」
「えっ?そういうことじゃないの?」
「は?」
 アメリアの唐突な質問返しに、ヴィシャスは思いっきり眉をひそめた。
「悪ぃ、どうしてそうなんのか、さっぱり分からねぇ」
「ふふっ、やっぱり?」
「何がだ?」
「えーとね……。これは私の予想なんだけど。ヴィシャス、今日たまたま花屋さんの前を通ったときに、ミモザを買わされたんでしょ?」
「だっ……!」
 驚いたヴィシャスの喉から変な声が飛び出た。
「な、何だよ、アメリア!お前、まさか、オレのこと尾行してたのか!?」
「そんなわけないでしょ。そんなことだろうなと思っただけ」
 アメリアはくすくすと笑いながら、ミモザの花束にそっと顔をうずめた。
「すごくいい香り」
「おい、ぜんっぜん説明になってねぇぞ!何がどうなってんだ?何でお前が今夜姐さんと出かけるんだよ?そんなことだろうって一体どんなことだよ」
「そんなにせっつかなくても……。私は、ヴィシャスからフェスタ・デラ・ドンナを祝ってもらって嬉しいだけよ。ただ、ヴィシャスが今日、自分からお祝いしてくれるなんて思ってもいなかったから」
「なんだ?そりゃどういう意味だ?……オレに、母親がいないからか?」
「違うわ。確かに、子供がマンマにミモザの花をプレゼントすることもあるみたいだけど、私にだって、お母さん、いなかったもの。そういう意味じゃなくって」
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
「あのね、フェスタ・デラ・ドンナは、男の人が女の人に日頃の感謝を伝える日なの」
「それは、花屋のオヤジに聞いた。だからオレもこうやって」
「うん、ありがとう。……でもね、日頃の感謝を伝えるついでに、フェスタ・デラ・ドンナって女の人がお仕事をお休みしてもいいよって日なの」
 アメリアは黄色のミモザの花の間からヴィシャスに向かって悪戯っぽく笑いかけた。ヴィシャスはぽかんと口を開いた。
「……は?」
「だから、今日は、女の人がお仕事をお休みしてもいい日なの!家事もお休みして、女性同士で飲みに出かけたりするんだって。だから嬉しいなと思って。小さい頃、神父様やヨシュアからミモザをもらって、お休みを頂いたことはあったけど、ヴィシャスも私を気遣ってくれるんだなあって。女同士で飲みに行くなんて、初めてだから、ドキドキしちゃう」
「おい待て」
「待ちません。早速セルビアさんのところに遊びに出かけようっと。あ、今日の晩ごはんは適当に食べてね?」
 アメリアは花束を抱えたまま上機嫌で踵を返した。
「お、オイ、コラ!」
 適当に夕食を取ってねと言われても、ヴィシャスは料理なんてできない。陽気に歌を口ずさみながら階段を上っていくアメリアを、ヴィシャスは慌てて追いかけた。
「待てって、アメリア!」
 階段を上りきったところで、ヴィシャスはアメリアの肩に手を掛けた。
「……なんてね?」
 アメリアは振り返ると、上目遣いにヴィシャスを見上げて、ペロッと舌を出した。
「……あ?」
「ヴィシャスにキッチン任せられるわけないじゃない。ほろ酔い気分で家に帰ってきたら、跡形もなくなってた、だなんて、考えるだけでも嫌だもの」
 アメリアは、ね?と言って、首を傾げて片目でウインクした。
 つまりは、いいように謀られた、ということらしい。
「お〜ま〜え〜は〜!」
 してやられた。ヴィシャスは怒りを隠すことなく、アメリアの髪をわしゃわしゃとかき回した。
「きゃっ!ちょ、ちょっとヴィシャス……!やだ!髪がボサボサになっちゃうよ!」
「うるさい!」
 抵抗しようとするアメリアの細い手首をしっかり握ると、ヴィシャスは彼女の腰を折って、力任せに抱き上げた。
「ヴィ、ヴィシャス!?ちょっと!お、下ろしてよ!」
 アメリアはぎょっとした顔で足をばたつかせたが、ヴィシャスは「うるさい」の繰り返しで、そのまま強引にアメリアを夫婦の寝室に連れ込んだ。
 そしてアメリアの体は乱暴にベッドに投げ出された。
「きゃっ!!ちょっと、ヴィシャス!何するのよ?」
 アメリアは不服そうに頬を膨らませた。ミモザの花はアメリアと一緒にベッドに投げ出された衝撃で、いくつかシーツの上に散ってしまっていた。
「もう!折角のミモザの花束が台無しじゃない!」
「いーんだよ。……これで、ベッドもいい香りがすんだろ?」
 ヴィシャスはニヤッと口角を持ち上げると、さっさとシャツを脱ぎ捨てた。ヴィシャスが次にどう来るか、大体予想しているのだろう。アメリアは恥らって腰を引かせた。
「ちょ、ちょっと……。まだ日も高いんですけど……」
「だな。だからこそ、だろ?」
 ヴィシャスはベッドの上に膝を立てて、アメリアに擦り寄った。
 ミモザの甘い香りがアメリアに乗り移ったかのようだ。ベッドの上でふんわりと匂い立つミモザの香りを愛でるように、ヴィシャスは顔をアメリアに近づけた。アメリアの頬が真っ赤に染まる。ヴィシャスに毎晩抱かれているくせに、彼女の羞恥心はちっともなくならない。そこがまた愛らしいのだけれど。
 ヴィシャスはアメリアの耳元で囁いた。
「姐さんと飲みに出かけようだなんて、冗談でも言えないくらい、腰砕けにしてやる。それでも出かけるなら出かけてみろってんだ」
「え……」
 アメリアの体からへなへなと力が抜けていく。
 シーツの上に仰向けになったアメリアを両腕で囲むようにして、ヴィシャスはアメリアに覆いかぶさった。アメリアは、結局こうなるのかといわんばかりに眉尻を下げた。
「う、うう……。今日は折角のフェスタ・デラ・ドンナだっていうのに……」
「だーかーら!感謝してるって言ってんだろ?これがオレ流のフェスタ・デラ・ドンナだっての。いい日があるもんだな?」
 ヴィシャスは笑って、アメリアの首筋に吸い付いた。アメリアの嬌声が一瞬にして寝室に広がる。やがてヴィシャスの執拗な愛撫に、諦めたようにアメリアはヴィシャスの背中に腕を回した。

みみこさんへ ※邦訳「ミモザの日」
 (2011/3/13 Asa)