くちびる (5)
忍足×女主+跡部(テニスの王子様)
※氷帝学園高等部二年生の設定です

 冬を間近に控えたベランダはひときわ寒く感じられる。暖房の効いた教室と壁を一つ隔てているだけなのに、まるで悪意の込められた冷気に晒されているかのようだ。今日は太陽が出ていないので、尚更そう感じるのかもしれない。
 こんな日にベランダに出る者なんて限られている。掃除のために出てくるか、隣の教室あるいは外にいる人間に用事があるか、はたまた教室では話せない話をするためか。
 彼女と跡部が、今ベランダにいるのは、言わずもがな、三つ目の理由ゆえであった。
 月に一度の全委員会を集めて行われる会議が間近だからだろう、生徒会室では、生徒会のメンバーが忙しそうに作業に取り組んでいた。さすがにこの中で、忍足の話をする度胸はなかったので、彼女が跡部をベランダに呼び出したのであった。
「このまえは、ありがとね。楽しかった」
「ああ」
 跡部は相変わらずの傲岸不遜な笑みをたたえた。当然だと言わんばかりの顔をしている。
 彼女は微苦笑した。
「それと、くだらない喧嘩に巻き込んじゃってゴメンね」
「まったくだ。それで?仲直りはしたのか」
「うん。でも、あれって仲直りっていうのかなあ。喧嘩してる、してない、ですら話が行き違ったから、もう付き合うのやめよう、って言ったんだけど、断られちゃったの。だから仲直りっていうか……、気付いたらまだ続いてたって感じ」
「なんだ、そりゃあ。惚気か?」
 跡部はつまらなさそうに肩をすくめた。
「惚気に聞こえる?」
「惚気にしか聞こえねえ」
 跡部にはっきりと断言され、彼女はハハハと恥かしそうに笑った。
「私が引っかかってたこと、忍足くんもちょっとは理解してくれた…、そう思いたいけどね。なんか、やっぱりあんまり伝わってないんじゃないかって気もするの。……難しいよね。自分の方が『好き』の量が多いんだと思うと、なんだか自分の気持ちが重くのしかかってきて、息苦しいというか」
「ふうん。でもそれって、案外、お前がそう思い込んでるだけかもしれないぜ」
「私が思い込んでるだけ?」
「案外、お前が思ってるより、忍足の方がもっとお前のことを好きかもしれねぇだろ」
「そんなこと……、あったらいいね」
「そうは思わねぇのか?」
「好きだよとは言ってくれたよ。すごく嬉しかった。でも、私、押し切られてばっかりだもん。嫌われたくないからなのかな。忍足くんに強く言われたら、結局忍足くんの言うとおりにしてしまう」
「まあ、掴みどころがなさそうに見えて、アイツ、結構頑固だからな」
「ね」
 本当にそのとおりだ。彼が語る「好き」は7割ほどが意地で出来ているんじゃないかと訝しく思うこともあるくらいだ。
「……だが」
 跡部は、フ、と静かに笑みを零すと、「見方を変えるなら、何を言われても自分の意見を押し通すくらい、お前のことが好きだとも言えるだろ」
 跡部が綽然として言った言葉に、彼女は瞠目した。
「……随分、前向きな捉え方だね」
「まあな。お前が俺と一緒にいたのに出くわした時、アイツが食って掛かったのは俺の方だっただろ。俺が知ってる今までのヤツなら、きっとああはならなかったはずだ」
「よく分からない……。そんなものなの?」
 彼女は首を傾げ、「でも、有難う」と言った。
「ほんとに、跡部くんは優しいよね。まさか恋愛相談に乗ってもらうことになるとは思わなかった。俺様なのに」
「アァ?なんだ最後の一言は。蛇足じゃねぇのか」
「ノー、蛇足!」
 不機嫌そうに顔をしかめた跡部を見て、彼女は楽しそうに笑った。
 跡部に愛される人はきっと幸せに違いないと思う。跡部はどんなことだって、分かりやすく、言葉で説明してくれたから。

 しかし、実際に自分の気持ちと相手の気持ち、二つを天秤に掛けることができたなら、どっちが重く垂れ下がるのだろう?
 相手のことが好きで好きで、どうしようもない程に好きだからこそ、不安に感じることもある。相手の言葉と自分の思考がかみ合わなければ、相手に猜疑心を抱いてしまう。
 彼女と忍足は、今までどおり、それぞれに部活と委員会の折り合いをつけて、会った。
 今までと同じなのは、会った最後には忍足の部屋に行き、忍足のベッドに運び込まれてしまうこと。
 今までと少し違うのは、忍足の部屋に行くまでの時間が増えたことと、ベッドの上でのキスの時間が伸びたこと。
 彼女は、まだ忍足に挿入を許していない。
 挿れていいよと言った途端、以前のように「会えばセックス」の毎日に戻ってしまうのではないか。そう思うと、「いいよ」の一言が喉から出てこなかった。
 忍足は無理強いをしなかった。
 否、挿入以外は「ボディタッチはOK」の約束を盾に、ハンドジョブやらオーラルセックスやらシックスナインやらあらゆることを要求されたが、それでも忍足は満ち足りた顔を見せた。
「よく飽きないね」
 呆れたように言うと、忍足は「飽きるわけないやろ」と不敵に笑みを返した。
「好きなコが気持ち良さそうにしてるのがええんやん」
 そう言って、忍足は彼女のくちびるを舌で舐った。
 忍足は、あれから何度も「好き」を口にするようになった。彼女になるべく不安を感じさせないよう、忍足なりに気を遣ってくれているのだろうと思う。
「口、開けて。もっと深くキスしたい」
「うん……」
 くちびるを少しだけ開いて、忍足の舌を受け容れる。忍足の舌は彼女の舌を突き、口の中をたっぷりと蹂躙した。
 忍足の濡れた舌の感触に、彼女の脳は痺れた。
 彼女は、足の付け根の辺りで自らの陰唇がじゅるりと涎を垂らしたことに気付いて、思わずのけぞったが、強く抱き締められていて身動きできなかった。
「ん……っ」
 くぐもった、いやらしい声だけが漏れる。
 忍足は眉を上げ、更に舌を絡めてきた。

『付き合うって何?』
 その意味は、まだよく分からない。それに答えがあるのかどうかも、見えていない。
 跡部は「付き合う」最終目的は体を重ねることだと言った。忍足は「一緒にいたい。独り占めしたい」、だから彼女と離れたくないと言った。
「もっと、こっちおいで」
 既に密着して抱き合っているというのに、忍足はまだ足りないかのように彼女をぎゅうとかき抱いた。
 もう挿れてもいいよと言うには、まだ不安が残る。でも今は、忍足に触れれば幸福感と甘い疼きを得られるようにはなっていた。
「好き……」
 忍足の顔のラインを指でなぞりながら、彼女は囁いた。
 私の「好き」が重くありませんように。そう願いを込めて。
 忍足は嬉しそうに笑って、再び彼女に唇を重ねた。
「オレも、好き」



愛音さんへ
 (2012/1/24 Asa)