古武術をしているという奴は、姿勢がとても美しい。
氷帝学園テニス部の中でも群を抜いて凛としている。

男の俺から見ても、奴は凄く儚くて。
そのまま、風に溶けてしまいそうなほど透明感のある存在。
彼奴の空を眺める遠い目の向こうに、一体何があるんだろう。
一緒に舞えたらいいのに。
そう思う。





   もてあます





「なーんや、岳人。元気ないやん?」
昼休み、岳人とダブルスを組んでいる侑士が、岳人の教室まで来ていた。
クラスは違うのだが、普段から岳人と侑士は仲がいい。
今もため息を大きくついている岳人に、侑士は読みかけの本から視線を上に上げ、
にやっと笑った。
「何か、悩みでもあるん?」
侑士は、鋭い。
ダブルスを組んでいるから、ということもあるだろう。
岳人のちょっとした変化にも、侑士は鋭く反応する。
「べっつにー。何でもないって。」
岳人は、興味なさげな声で、間延びして返事する。

言えるかっての。
男にケソーしてるなんて。

懸想という言葉自体、意味がよく分からなかったが、岳人は片肘ついた。
座っている座席から青い空がはるかに見渡せて、気持ちのよい太陽光が岳人に注いでいた。

太陽、日光、日…。
「日」。
向日、日吉。
同じ言葉が入ってる。


何となくそんなくだらないことを考えて、岳人は、ハっと小さく自嘲の声を漏らした。
(俺、バッカじゃねぇの。)
侑士の方を見返すと、侑士は再び本に視線を戻していた。
背筋はピンと伸ばされ、目は規則正しく文字を追っている。
(侑士だって、男前だといえば男前なんだよなー。)
何も日吉だけが綺麗なわけではない。
むしろ女子にもてるのなら、侑士の方が圧倒的だ。
跡部になると更に女子が放っておかない。
なのに、どうして日吉のことばかり考えてしまうんだろう。
綺麗だなーと思い起こしてしまうんだろう。
すらりと構えられたあの独特のフォームを思い出してしまうのは、何故なんだろう。
岳人はただぼんやりと、日吉のことを思いながら、昼休みを所在無く過ごしていた。





放課後、岳人はいつものように部活へ行った。
何だかまだ心の中がもやもやしている。
こんなときは跳んで憂さを晴らすに限る。
あんまり跳んでばかりだと跡部の檄がとんでくるのだが、
今日は無性に身体を動かしたかった。
あれこれと無闇矢鱈と頭を動かすのは性に合わない。

(うぉーし、がんばっぞ!)
うーんと背筋を伸ばすと、太陽が光の四角を沢山連ねてこぼれてきているように見えた。
岳人はまぶしそうにそれを見上げ、にかっと笑い、そのまま部室のドアノブに手をかけた。

そのとき。

先に部室のドアが開いた。

「あ。」
岳人より先に、相手が声を出す。
目のまん前、一つ下なのに岳人より高い背丈の少年が、岳人を見下ろす形になっていた。
「……どうも。」
準レギュラーであり後輩である彼が、正レギュラーの岳人を見て、軽く会釈した。
さらりと鶯色の髪が風になびく。
岳人や侑士と同じ、比較的長い髪なのに、「長さ」を感じさせないのは、
かもし出されている、凛とした「風」の雰囲気からなのかもしれない。

岳人は、思わぬ遭遇に、一瞬酷く動転する。
心臓がバクバク言っている。
まるで胸の中に、点火五秒前の爆弾を抱えている気分だった。

「ひ、ひ、日吉じゃねぇの!」
声が裏返った。
あー、俺ってバカ、と自分自身に呆れつつ、嫌悪感にも苛まれる。
さっき見た太陽が、今はやけに雲に覆われているように見えた。

「元気か、お前?」
いつも会ってるだろ、と更に岳人は内心突っ込む。
何か喋ってないと、頭がぐらぐらして、足元がふらつきそうだった。
岳人は余裕を見せようと、口端を何とか持ち上げたが、
それすらきちんと持ち上がりきれているか、いささか不安なところでもある。

「…はぁ。」
一方の日吉は、焦りまくっている岳人をぽかんと見ている、
もともと同い年の明朗な鳳とは正反対である日吉は、愛想という物がない。
今もただ憮然と岳人を見つめているだけだった。
涼しげな瞳が困惑気味に空を漂っているのが分かって、岳人の方が焦る。
気まずいというのがすぐに実感できて、何だか泣きたくなるほど哀しくなった。





「おい、何してやがる。」

その、岳人がどよんと落ち込んでいる傍に、突如不遜な声が響いた。

振り返らなくても分かる。
いつもは嫌味な声だと思うそれも、こんな雰囲気の悪いところへ入り込んでくると、
あんなものでも神々しく聞こえた。

岳人はゆっくりと振り返った。
「あ、跡部先輩。」
日吉の声が後ろから岳人の後頭部に刺さった。
気のせいか、自分に話しかける口調よりも、跡部にかけている声の方が、
しゃきっとしているように聞こえた。
岳人はますます落ち込む。

どうでもいいことだ。
なのに、そんな日吉の声色たった一つにここまで落ち込むなんて。
今までは、ぴょんぴょんと跳んでさえいれば楽しくできたのに。

思わず悔し涙がこぼれそうになった。
その岳人の表情を見て、鋭い洞察力を持っている跡部は、眉間に皺を入れた。

「…何だぁ?何かあったのか?」

ぎくりと岳人の胸に一筋の稲妻が走った。
猜疑心タップリにこちらを見ている跡部の眼差しがきつかった。
「い、いえ、ただ、今ぶつかりそうになっただけです!」
日吉があたあたと返答している。
跡部ににらまれては、人とは交わりたがらない日吉も、それ以上言えないらしい。
それきり黙りこんでしまった。

岳人は、もう頭の中がこんがらがりにこんがらがって、かーっと血が上ってくるのを感じた。

「どけよっ。」

ぷしゅーっと頭から蒸気を発して、岳人は日吉をおしのけ部室へ入り込んでいく。
「おい、岳人!」
背後から跡部の声と、日吉の視線を感じたが、それらを全て知らん振りする。
手に負えない心が、ぶらんと宙に浮いて、行き場を失っていた。