藍と墨のあいだ(2)
紺野×主×設楽 (GS3)

 密度が高い電話ボックスの中は、いつしか三人の体温で生温かい空間となっていた。
 紺野の目が据わっていることに気付かない設楽ではない。雨に濡れて肌に纏わりつくシャツだって気持ち悪い。だが彼女の襟足からくゆる仄かな甘い香りと、彼女の体の柔らかい感触は設楽を高揚させた。

 地に打ち付けられる雨の音は、ホールに響き渡る拍手のそれに似ている。
 気持ちが煽られ、我を忘れて、ふと天に一歩近づいたような錯覚に陥るそれは、一度知ると病みつきになる。
 そういえば、初めて彼女を近しく感じた日も、初めて彼女の唇を欲した日も、雨が降っていた。雨の音は、いつも設楽の感情の箍をそっと外しているのかもしれない。
 きめ細やかな肌の手触りと瑞々しい肉感が恋しくなって、設楽の手は彼女の腰から臀部を伝った。中指の先端は奏でる鍵盤を求めるように流離い、程なく彼女の太ももへと辿りついた。
「……っ!」
 設楽の欲望を感じ取り、彼女の背中は張って上下に振れた。彼女はおずおずと設楽を見上げた。頬は染まり、半ば蕩けたような表情をしていたが、瞳の奥にはまだ硬い理性の芯が残っている。設楽の指の動きが続くことを期待しているというよりは、紺野の面前で不埒な行いをすることに恥じらいを覚えているようであった。

 しかし彼女のその表情は、設楽の目にはかえって扇情的に映った。
 彼女は、設楽の誘いを拒んだことはない。
 人前でどんな風に「振舞う」べきか、幼い頃から設楽は「紳士的な」大人たちを多く見てきた。
 反吐が出そうなくらい優しくささめく、自らの欲望を押し通すために被る一見華やかで美しい仮面を、設楽は生まれて初めて、無垢な彼女のために装着した。
 それは、彼女の周囲をうろつく男どもを蹴散らすには、設楽にとって最良の武器であったから。世俗にまみれたどこぞの兄弟や、勤勉が取り得の優等生とは違うのだという、設楽なりの牙であった。
 だが今、彼女は、設楽の指と紺野の視線と、いずれに応えればよいのか、瞬時に決めることができず、迷いを見せた。
 触れれば彼女の甘い息が零れ落ちる部位を、設楽は心得ている。躊躇ったところで、設楽が望めば、彼女はすぐさま設楽の欲求に絡め取られる。
 それにもかかわらず、設楽の求愛に鈍い反応を返すだなんて。
 まるで駆け引きを持ちかけられているかのようだ。
 紺野の視線に怯むことなく、設楽が彼女を求め、設楽の指が戸惑う彼女の体を解せるかどうか。設楽が彼女に対して抱く感情がどんな衝撃にも屈しない、誰をも寄せ付けない金剛石のようなそれに近しいかどうか。

 設楽は口元に笑みを浮かべた。
「どこでそんなことを覚えてきた」
「えっ?」
 彼女は設楽の問いかけの意味が分からないようで、目を瞬いた。
「設楽先輩?」
「いや」
 設楽はフフンと鼻でせせら笑うように答えて、頭を左右に振った。
 本人には全く自覚がないのであろう。
 だが、悪いことではない。むしろ良い兆候である。
 それが天然であっても、努力して身につけたものであってもどちらでも構わない。これまで多くの仮面を見てきた設楽の心を惑わすくらいにスパイシーな魅力を持ち合わせることができたなら、彼女は長く設楽の傍らに身を寄せることになるだろう。
 設楽の指がガヴォットを弾くように彼女の肌の上でステップを踏み始めた。太ももからスカートの中に潜り込み、小高いヒップの丘を登ると、そのまま谷底目指して彼女の下着をかいくぐった。
「あ!ぁふっ……、した、らせん、ぱい……っ」
 懸命に声を押し殺しながらも、設楽の与える刺激に耐え切れず、彼女は体を捩った。
 同時に紺野の眉間に幾重もの皺が寄ったのを、設楽は横目で確認した。
 止めたければ止めてみればいい。
 明らかに不愉快そうな顔を浮かべているくせに、紺野は一度諌めたきり、設楽の行為が進むのを止めないでいる。
 設楽は目を細め、彼女に視線を落としてからもう一度紺野を見やった。
「いいのか?」
 呟くように放たれた設楽の発言は、嘲弄の色を帯びていた。
 彼女に向けて言ったのか、紺野に向けて言ったのか、どちらにも受け取れる設楽の言葉に、彼女が先に反応した。
「えっ?」
 設楽は彼女には答えず、長い中指の腹部で彼女の濡れそぼったクレバスをやや強めに擦った。
「ひ、ぁぁんっ」
 クレバスに生じた水流は、設楽の指を自由に泳がせた。
 雨音にかき消され、設楽の指が彼女の情欲を宥める水音は聞こえなかったが、その部分に直に触れている設楽は、彼女がどれほど感じているかよく分かった。
 設楽は花びらの中心部を思わせるクレバスの薄く張った部分をなぞり、指の腹で、彼女の内側に自らの存在を訴えかけた。設楽の熱く滾った茎を知る彼女の内側は、設楽の指が残す微熱に憧れて、次から次に蜜を溢れさせた。
 彼女の唇からは媚びるような吐息が幾度も漏れた。ひそかに膨張を始めた彼女のクレバスの温熱が、彼女の緩やかな登頂を設楽に耳打ちする。
 彼女が待ち焦がれていたであろう、クレバスの果てに鎮座して蜜の流れを遮る突起物を、設楽は薬指の先端でか弱く引っかいた。それは岩の形をした、彼女の欲望の起爆スイッチだ。彼女の腰はあっという間に砕け、彼女は力なく設楽にしなだれかかった。

「早いぞ」
 設楽は紺野に聞こえるように、彼女に向かってはっきりと言った。
「いつも言ってるだろ。感じやすいのは嫌いじゃないが、もっと俺を楽しませてみろって」
「は、はい……」
 彼女の呼吸は荒く乱れ、肩は震えていた。彼女の熱っぽい息は、生温かい空気が立ち込める電話ボックスの中でも白い靄を象った。
 紺野の方に目をやると、設楽を睨みつけているかと思いきや、呆れたような、蔑むような顔をしていた。
「僕が何を言ったって続けるんだろ?お邪魔なようだから、先に帰らせてもらうよ」
 いいのかと尋ねた設楽に、少し前に発したのと似たような言葉で、紺野は答えた。
 紺野の視線が、左方、斜め上にずれる。電話ボックスの外に向けられた紺野の視線に誘導されるようにして、設楽も耳を澄ました。雨はいつのまにか小降りになっていたようで、雨音も地面に吸い込まれるように大人しいものになっていた。
「邪魔か、邪魔じゃないかって聞かれたら、限りなく邪魔だな」
 設楽は遠慮することなく言い切った。
「おまえだってそうだろ?」
 設楽は下を向き、彼の胸に寄りかかっている彼女の名を呼んだ。
「同じ部の先輩に淫らな格好を見られるなんて、あまりいい気分はしないよな?」
 彼女の体がビクッと小刻みに震えた。
 我ながら、意地悪だと思う。設楽の指で頂点に達したばかりである彼女に、今更ながら紺野の視線を強調して思い出させるだなんて。
「設楽」
 嗜虐的にも取れる設楽の発言を諌めるようにして、紺野が語調を強めた。
 設楽はあえて紺野を無視して、彼女の体をかき抱いた。
「雨もそろそろ上がるな……。おまえ、俺の家に寄って行け。おまえに風邪を引かれたら困る」
 白々しい設楽の言動に嫌気が差したのか、紺野はわざとらしいため息を吐き出した。
 だが紺野は、設楽に対してイラついても、彼女に対して同様の感情を抱いてはいないだろう。
 確かに、紺野と彼女は生徒会執行部の先輩後輩の関係に過ぎないかもしれないが、同じ部に属して活動をしているということは、それだけで二人の間には切っても切れない縁がある。
 ましてや、事あるごとに設楽が彼女との男女関係を匂わせているにもかかわらず、紺野も彼女も互いに相手に一目置いている様子を見れば、言われずとも分かるというものだ。
 彼女が紺野に抱いているのは、敬意だろう。しかし紺野が彼女に抱いているのは、可愛い後輩の面倒を見てやりたいという親切心だけではない。設楽がいても尚、紺野が彼女の側に身を置くのは、紺野も彼女に何かしらの恋愛感情を持っているからだ。
 一対一で向き合っているだけなら決して図形を作ることのない三点が、こんな安っぽくて窮屈な箱の中に収まっている。そう考えると、ちょっと滑稽だった。
 設楽は突き放すように、しかし見え透いた優しさを滲ませて言った。
「紺野、おまえもだ。邪魔なことに変わりはないが、おまえに風邪を引かれても困るからな」
 一触即発の空気が何とか収まったようだとほっとしたらしい彼女と、設楽の表面的な優しさの裏にさりげない悪意を感じ取り顔をしかめた紺野。二人の醸し出すオーラのギャップがあまりに酷くて、火に油を注いだように滑稽さが増した。
「なんだよ、その顔」
 設楽はプッと噴出して紺野を見やった。
「安心しろ。家に帰ってまで見せ付けるつもりはない。ただここでおまえを置いて行って風邪を引かれたら、こいつが(と言って設楽は顎をしゃくった)落ち込む。そう思っただけだ」
「そんなに気を使ってくれなくてもいいよ」
 紺野は設楽に、と言うよりは、彼女に向かって言った。
「僕なら大丈夫。こう見えても結構頑丈なんだ。健康マニアの姉、のおかげでね」
 健康マニアの姉、という単語に、設楽の腕の中に収まっていた彼女が驚いて目を見開いた。
「そんな……!まだ寒いのに、紺野先輩が濡れたまま帰ったら、わたし、紺野先輩のお姉さんに怒られちゃいます……」
 彼女の声は徐々に萎んでいった。
 紺野の目の前であられもない姿を見せてしまったことに対する羞恥心もさることながら、申し訳なさも感じているのだろう。彼女は遠慮がちに続けた。
「あの、紺野先輩、せっかくですし、設楽先輩のご好意に甘えませんか?せっかくですから……」
「え?うーん、そうだな……」
 紺野はいくばくか迷ったようだが、可愛い後輩に押されると、断りきれないようであった。
 最後には折れて、紺野は首を縦に振った。
「まぁ、設楽がそれでいいって言うんなら」
「構わないぞ。ただしこれ以上の邪魔はするなよ」
 設楽は余裕ぶった笑みをたたえたまま、携帯電話を取り出した。
 そこだけは押し慣れている呼出ボタンをやや強めに押す。
 電波は間もなく設楽家の運転手の携帯電話に繋がった。


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 (2011/4/28 Asa)