くちびる (4)
忍足×女主+跡部(テニスの王子様)
※氷帝学園高等部二年生の設定です

 もくもくと湯気が立ち込める浴室は、霧の中に迷い込んだような錯覚を生む。
 思い切り息を吸い込むと、バスタブにたっぷりと張ったお湯からラベンダーの香りが立ちくゆった。
「ふう」
 肩までお湯に浸かって、彼女は今日の出来事を頭の中でダイジェストにして思い浮かべた。
 跡部と出かけた映画や買い物(あれは俗に言うなら「デート」だったのかもしれないと彼女は思った)はとても楽しかった。
 けれど、忍足と遭遇した後の激しい感情の上下は、それ以上に胸の内側に強く刻み込まれている。

 自分の「好き」と相手の「好き」の重さが違うと思ったから、付き合うのをやめようと言った。
 だが、忍足の返答は予想外なものだった。
「お断り」。
 勇気を振り絞って言ったのに、何でそんな軽い返事?というのもあったし、「付き合いをやめるつもりはない」という彼の意思を聞き、気持ちのどこかに安堵が生まれたのも事実だった。
 悩み、張りつめていた思いの隙間に生まれた僅かな弛みが、それまで言いたいことを言えずにいた彼女の背中を押した。
「できれば言わずにいたかったな……。私の体が目的なんでしょ?なーんてどこの昼ドラよって話だし」
 忍足が好きなのは「女の子の体」であって、「私」ではない。
 胸の内でくすぶっていた苦悩を、今日、彼女はついに忍足にぶちまけた。
 忍足は彼女の発言に非常に驚いた顔をしたが、意外にも、「じゃあ、触らないようにする」と言った。
 勿論、後先考えず、所謂「逆ギレ」で、そう言っただけなのかもしれない。
 けれども、「どの行為からセックスのカテゴリなのか」と懸命に食い下がって来た忍足を目の当たりにして、忍足は忍足なりに、真面目に彼女に向かい合おうとしていると、彼に期待したい気持ちも沸き起こった。
 そうして、忍足に押し切られた。
 彼女が忍足に対する不信を感じなくなるまで、忍足は彼女に一切「挿れない」。
「一切」と断言したことについては、真摯で、優しいと思った。だがそれは、とりあえず最後の一線を越えなければセーフ、という意味なのではないかと勘繰ると、いいように話を持って行かれた気もする。
 はあ、と大きな溜息を零して彼女は天井を仰いだ。バスタブの中で、ゆっくりと手足を伸ばす。血管が拡張して、指の先まで温もりが広がっていく。安心感の上でくすぐったさが踊った。
「いれる、いれないの問題じゃないと思うんだけどなあ……。ていうか、行為の一連全部が、セックスなんじゃないの、そもそもの話」
 だって、忍足に手を取られればその後抱き寄せられるし、抱き寄せられれば次は唇を奪われる。
 口づけも、最初はただ唇を触れ合わせるだけであるのが、次第に舌を絡めていく。
 要は、一度触れたなら、どんどん前のめりになって相手の体を求めてしまうのだ。坂を転がり始めたら止まらなくなるのと同じ。たとえ忍足が「挿れない」と断言しても、着地点が異なるだけで、肌の温もりに依存していること自体に変わりはないと思う。そう考えると、忍足の申し出も有効な改善策であるとは言い難かった。
「ああ、でも……」
 かく言う彼女も、忍足のことをとやかく言える立場ではない。
 忍足に手を握られればドキッとするし、抱き締められたら気持ちが高ぶって抵抗できなくなる。
 極めつけは口づけだ。
 忍足に口づけられると、胸の底でとぐろを巻いていた不安心は影を潜めて、彼女の体は一気に「忍足を受け容れる」モードに切り替わる。そんな風に彼女の下半身が熱を帯び、異性を受け容れるべく愛液で濡れたくっていたら、忍足が彼女に「挿入する」性交に着地点を見出すのも、ある意味、当たり前なのかもしれなかった。
「忍足くんのことばかり責められないってことだよね……」
 彼女はもう一度深く息を吐き出した。
 欲情していたのは、忍足だけではない。彼女もまた忍足に触れられるとき、忍足に情愛を抱く。何のことはない、お互い様だ。それでも、忍足が誘いかけるその行為に反発したのは、甘えがあったからなのかもしれない。
「自分の思いだけが先走って、相手が求めてくるものとはかみ合わない」。
「相手は欲望ばかり主張して、自分の思いを汲んでくれない」。
 彼女はきっと肉体関係にとどまらない、恋慕する忍足との繋がりが欲しかった。肉体愛に辿りつくまでの過程に夢を見ていた。もっと私を見て欲しい、もっと私を知って欲しい。それがただのエゴであるなんて、考えもせずに。
 だからこそ、「じゃあ」と忍足の譲歩を受けたとき、今度はその好意に応じられるだけの自信を持てなくなる。
「キスもダメだって、はっきり言えばよかった……」
「ああああ」、彼女は顎まで湯に浸かり、何度も唸った。
「どうしよう」
 今週の火曜日の放課後に待ち合わせを約したデート。忍足は、恐らくは彼女の意に沿って、無理に彼女の脚を開かせようとはしないだろう。けれど手を繋ぎ、抱き合い、唇を重ねることはOKだと思っている。彼女自身が彼の要求に屈してしまったのだから、今更「やっぱりダメ」と覆すこともできない。
 もう、どんな不安も不満に塗り替える余地はない。
『私はあなたが好きだから、これからも付き合うのを続けるのであれば、同じくらいあなたも私を好きになって』、そう我儘を言って、彼の同意を取り付けるしかないのだ。
「言えるかな」
 キスされて、とろとろに溶けてしまうであろう思考力を、そこからフルに動かすことができるだろうか?
 感情の衝迫に突き動かされなければ、好きな人に何も言うことができないなんて、バカみたいだ。
「くやしい……」
 その夜、彼女は湯でやわやわにふやけるまでずっと、浴槽の中で思いを巡らせ続けた。



 そして、やはりというべきか、予想は的中した。
 火曜日は朝から雨が降っていた。
 雨の日のデートは、大体いつも忍足の部屋で過ごした。その日も、放課後待ち合わせの場所で、忍足は開口一番に「今日、ウチに来るやろ?」と言った。
 さも当然であるかのような口ぶりに驚き、「え?忍足くんの部屋?」と聞き返すも、「約束は覚えとるよ」ときっぱりと返されてしまったので、『そういう、あやふやなのはよくないよ』とは言えなかった。
 忍足の部屋の玄関で「どうぞ」と入室を促されたときも、『やっぱり、やめておく』と言えなかった。
 二度あることは三度ある、とはよく言ったものだ。
 髪を撫でられ、指を絡められ、気がついたときには、忍足の顔がすぐ目の前にあった。
「カワエエなあ」
 忍足はそう言うなり、彼女の唇にちゅっと口づけた。
 忍足の香りに飲み込まれ、思考がぶっ飛んでしまいそうになるのを寸でのところで堪え、彼女は体を引いた。
 警戒心丸出しの彼女に、それでも忍足はニコニコとしている。
「心配せんでも、約束は破らん。挿れへんて」
「いっ、いれへんって……」
 ストレートな表現に慣れていない彼女は、一瞬まごついたが、このまま忍足の調子に巻き込まれるわけにはいかない。彼女は気持ちを奮い立たせて、「でも、ダメ」と言った。
「これじゃあいつもと変わらないよ。何か、他のことしよう」
「他のことって?」
「何でもいいから、他のこと。楽しいなって思ったり、幸せだなって感じたりすること」
「オレ、自分にくっついてると、メチャメチャ幸せなんやけど。ああ、キモチイイことがしたいって意味じゃなくてな?」
「うーん……」
 彼女が不安がりそうな言葉を一足早く摘んでしまう辺り、忍足も彼女に気を使ってくれているのだろう。
 それでも、結局スキンシップに終始するのなら、先日話し合った意味がない。
 彼女は窓の外で降りしきる小糠雨を恨めしそうに見やった。
「晴れてたら、ウィンドウショッピングとか散歩デートとか出来たのにね」
 忍足も窓の方へ目をやった。忍足の方は、淡いモノトーン色の雨模様に何の感慨もないようだった。
「晴れてても、オレは、ウチにおいで言うてたよ」
「えっ?そうなの?」
「二人きりになれるのは、ここだけやろ。好きなだけイチャイチャできるし」
「でも、それだったら、やっぱり前と同じじゃない?問題解決にならないんじゃ……」
「全然違うて」
「同じだと思う。だって、なんだか……セックスしてる気分になるもの。キスしてると」
「そうなん?」
 忍足は目を細め、フッと笑みを含んだ。
 不敵な表情だ。笑われたのだと思って、彼女はムッとした。
「違うの?男の人は違うものなの?」
「さあ、どうやったっけ」
 忍足は屈みこむようにして彼女の方へ近寄った。
 キスされる、と、構えた瞬間、唇が重なった。
 今度は、触れ合うだけのキスでは済まなかった。彼女の唇の中に、忍足の舌が入って来る。彼女の歯の羅列をなぞり、彼女の舌を突く。互いの唾液がちゅるちゅると淫猥な水音を立てた。
 聴覚に訴えかけてくる扇情的な音に、彼女の下腹部にはじんわりとした熱が生まれた。
「やっ……」
 忍足を押し返そうと彼の腕を掴んだが、そのまま、あっという間に抱きかかえられた。
 忍足は彼女の耳元で、彼女に縋るように囁きかけた。
「ベッド行こ」
 ベッドという単語を聞いて、彼女は頭をかち割られた気がした。
「し、しないってやくそく」
「ああ、挿れることは、せえへんよ。安心し。じっくりチューしたいだけ。ええやろ?」
 彼女は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。このままだと、流される。やっぱり、キスもボディタッチも絶対ダメ、と言い張るべきだったのだ。
「い、いやです」
 最後の力を振り絞って、彼女は左右に頭を振った。
「これ以上はダメ。約束が違うもの」
「なんで?キスやタッチはOKって話やったやん」
 忍足は口を尖らせたが、「それとも……」とクスッと悪い笑みを噛み殺して言った。
「チューしてると、セックスしたくなるから、ダメなん?」
 頭の中を見透かされたのかと思った。
 頭に血が上っていく。高熱に冒されたかのように、彼女の顔は火照った。
「図星?」
 忍足はにこやかに微笑んでいる。けれど、その眼差しは凄みがあるというのか、飢えた獣を彷彿とさせた。
 彼女は黙り込んだ。
 彼女にとって、忍足は好きだと感じる人だから、忍足に触れられれば勿論嬉しい。
 体が「忍足を受け容れる」モードになるのも、忍足を受け容れたいと望んでいるからだ。
 そのことは、伝えなくてはいけない。相手と合っていない「好き」を抱えるのは、重くて、そして空しいのだと。
「……好きな人とキスしたら、もっと触れ合いたいって思うの、当たり前だと思う」
 彼女は声を震わせながら、口を切った。
「私、恋愛経験なんて、殆どないけど、好きな人が相手じゃなきゃ付き合わないし、好きじゃなきゃキスしたいとも思わないよ」
 だから面白半分にからかうのはやめて欲しい。
 彼女がそう言おうと忍足に真正面から向き合ったときだった。
 いきなり覆いかぶさってきた忍足に唇を塞がれた。それから再度口の中を蹂躙された。
 言葉を発するどころか、息も継げなかった。
 忍足のキスから漸く解放されたとき、彼女はこんかぎり息を吸い込んだ。だが安心して呼吸をする間もなく、再び口づけられる。
 くちびるだけじゃない。忍足の手は彼女の肌のあらゆる場所をまさぐり始めた。
 胸の膨らみ、胸からの腰にかけてのライン、太もも、内股。衣服の上からも、中でも、おかまいなしに忍足の手は動いた。
 彼女は戦慄に背中をわななかせた。
 忍足は何度も「挿れない」と言っていたけれど、彼女の発言を「あなたが好きだから挿れてもいいよ」という風に捉えてしまったのではないか。
 忍足の指が制服のスカートの中、彼女の下着のクロッチに掛かったところで、彼女は「だめ!」と声を上げた。
 しかし、彼女の叫び声にも、忍足は怯まなかった。
 低く押し殺した声で「せえへんから」と言うと、彼女の下着の中に中指を割り入れ、彼女のクレヴァスを擦り始めた。
 甘い痺れが、足の付け根から腹部へ駆け抜ける。
「や、やぁ……っ」
 忍足の指は驚くほど滑らかに彼女のクレヴァスを走った。
 彼女の下の陰唇は今すぐにでも忍足を受け容れたいと言わんばかりに、ドプドプと唾液を垂らしている。
「オレとシたくなった?」
 忍足は彼女の耳を舌で舐りながら聞いた。
「こんなに濡れてもろて、嬉しいわ。オレのことが好きやから、こんな風になるんやろ?オレの性欲に付き合うてくれてたんも、オレのこと、好きでいてくれてたからやんな?」
 だったら、何だというのだろう。
 怒りに任せて質問し返したかったが、忍足の指の動きに感じてしまって、嗚咽しか漏れない。
 声だけではない。体全体が麻痺してしまったかのように動かなくなった。
「オレも、自分のことが好きやで」
 忍足は優しく囁きかけるように言った。
「こんなときに言うても、説得力ゼロなんは百も承知やけどな。自分のことが好きで好きで、おかしくなりそうやねん。オレが好きなんと同じくらい、とまでは言わんから、オレのこと、もっと好きになってくれると嬉しい」
 快楽に喘いでいた彼女だったが、絞り出すように放たれた忍足の言葉を聞いて、目を瞠った。
 忍足に視線を向けると、忍足も彼女の方をじっと見ていた。
 何かに飢えている様子なのは先程と同じだったが、加えて期待と情熱を孕んだ瞳は妖艶で、女である彼女の方がその色っぽさにドキドキしてしまうほどであった。
「な、何で?何で、私のこと、好きだって思うの……?」
「何でって……、好きに理由は要らんやろ?好きやから付き合いたいし、好きやからセックスしたい。オレ、メッチャ気持ちに素直に動いてきたやん」
 忍足は、抱き止めていた彼女の体を僅かにずらした。忍足の足の付け根が、彼女の太ももに触れる。硬く強張ったものが、ぐいぐいと彼女の内股を押し上げた。
「オレは自分と付き合うのをやめる気はないから、自分が嫌や言うんなら、自分がいい言うまで挿れへん。それは約束する。けど、忘れんといて欲しい。結構無茶を強いてんねんでってこと。オレ、自分が感じてんの見たら、抑制きかんくなるから」
「私が感じてる……?そ、そう見えるの?」
 おそるおそる問うと、忍足はニッと口角を上げた。
「すっごいエエ顔して、アンアン言うてるのを見るとな。どうしてもムラッとすんねん」
 彼女は、目を真ん丸に見開いた。
「私はそんな風にならないよ!」
「なっとるわ。なんや、自覚、なかったんか?」
 忍足はそう言って、再び彼女のクレヴァスに指を添えた。今度は中指だけでなく、人差し指と薬指も下着の中へ差し入れて。
「指は挿れる内に入らんやんな?」
「えっ!?」
「カワエエ声聞かせてな」
 うろたえている彼女の胸中などおかまいなしと言った風に、忍足は彼女の頬に軽いキスをした。


→続く
愛音さんへ
 (2011/12/30 Asa)